昭和59年12月16 報徳祭
皆さんおめでとうございます。おかげを頂きまして只今幹三郎のお話を頂かして頂きながら、本当にいよいよ有り難い事になって来たもんだなぁ。子供達が一人一人信心のお育てを頂いて、あのようにしてお育てを頂いとる。お礼をもうさせて頂いておりましたら、もともとのこう紐を様々な形で結んでおる、お知らせを頂いて最後にしっかり堅結びに結んで、神様とのご縁というものがいろいろな形で、まぁ結ばれて参ります。
一瞬例えば見事に結ばれておる唐紐であっても、ちょっと引っぱりゃさらぁっと解けてしまう様な、結ばれ方では勿論いけません。むしろ引っぱられれば引っぱられるほどこの結びが固くなる。私はいまの幹三郎の話を聞きながら、こういうおかげを頂いてこういう調子で信心が育って行ったら、いよいよ神様との折合いというものは、結ばれて行く事であろうと思うて、お礼を申し上げた事でございます。
今日は私の後には光昭がお話をさして頂くようでございますが。14日の日にブラジルからちょうどひと月間、あちらの5年の記念祭を奉仕させて頂いて帰って参りまして、昨日あちらのひと月間おりますから、あちらのあちらこちらへ連れて行って頂いたり、あちらのご信者さん方からあちらこちらとこうご招待を頂いたり、珍しい所へ連れて行って頂いたりして、おる者全部こうあのうビデオに録って来ておりまして、昨日一部でしたが見せて頂きましたが。
それに神様のもうすさまじいお働きというものが、末永先生があちらへ参りまして、まる5年の海外でこれだけの人が助かり、これだけの事が南米の地に広がって行きつつある、と言う事を思わせて頂いて、本当に天地の親神様のお働きを、受ける受けものが出来たら、この様なすさまじい事にもなって来るんだな、と言う事を思わせた頂きましたら、先だって4日の神愛会である、ここの手続きとか、又は関係の教会の先生方が集まって、共励をいたします。
その中で先生方のお取次ぎの現場での、まぁご理念に基づくお取次ぎの、働きの模様を聞かせて頂きましたら、しっかり生き生きと神様が働いておられる御様子を頂きました中に、貞美先生あちらの方の教会はここで5,6年修行致しまして、松子先生と結婚のおかげを頂いてあちらへ帰らせて、今年は5年記念祭で、もう今までに克ってない盛大なお祭を奉仕する事が出来て、そのお礼のまた御比礼の模様をまぁ聞かせて頂きましたが、その心から神様にお礼を申しさせて頂き休ませて頂きましたら。
その夜のお夢の中に、真っ白い白の鯉を頂いた。そしてその鯉が大黒様にこう変わっていかれる様子を頂いて感動致しましたと言うお話を聞いた。白い鯉と言う事は真理とかみのりと頂いた。またはだから神の鯉と言う事。真理とはいよいよ本当の事と言う事でしょうが、神様そのままの真理である白の鯉のお知らせ。大黒様にこう変貌していかれるという合楽の信心を、言われた事であろうと思いますが。またここにもう2,3日前壱岐の末永喜久雄先生の家内からお手紙が参りました。
今度光昭の随行でブラジルの方へ参っておます、それ留守教会になりますので、こっから桜井武先生と欣也先生が二人で、お留守番に若い先生方が二人でまいっております。もう二人の先生方が朝から夜まで、まぁよる事もないもうそれっこそ一生懸命の御用をして下さるので、お広前もいよいよこの賑ぎ合わしてもらい、新しいご信者も段々おかげを頂いて、お供え物なんかはもうあのう月次祭の時に、御大祭のようなお供えを集まっておかげを頂いております。
神様のにお礼を申させて頂いておりましたら、御心眼に桜井先生が朝のご祈念をして居った。その御祈念をさして頂いておる後ろに、ちょっとこう紋付袴を着けた先生が、たおる現れてそのその横で御祈念をしてくださる。いやぁ有り難い事じゃといいとじゃろうかと思うて、ご祈念が済んだのを見たら何とそれが合楽の親先生でございました。本当におかげを頂いておりますという手紙でございましたが。
まぁその事にしろ坂根先生のいわゆる、白の鯉とか大黒様とかというそのお知らせを頂いて、又はこの今南米で現れておるところの御比礼の御用。昨日そのテープの中にあちらのご信者が、3分の2はブラジル人の方だそうです。3分の1が日系の方達。こりゃもうブラジルの方達がもう非常に熱心にお参り、日に3回もお参りをすると言う方がある。おかげを頂いた、おかげを頂くとあのう次から次へとお導きしてみえる。
今度の御大祭にもちょうど5年祭の記念祭前まにでちょうどここの5年祭に新館が出来ましたが、この新館と同んなじ広さの脇殿が建築されて、そこに溢れる様な御参拝であったと言う事でございます。その模様を昨日ビデオで見せた頂きましたが。本当にブラジル人の方々と日本人の方達が一緒に、こう例えば御直会の時などは、あのう一緒にこう賑やかにやっておられ、こうじう事は克ってないそうですね。
それがもうブラジル人の方、日本人の方達一緒に混じってから、ご信心の稽古をさして頂いて、もう本当にあのう声高らかに拝詞などを奏上しておられるのを、聞かしてもらってもう感動でした。本当に人間が育てるのじゃない神様が育って下さってあるんだなぁ。あるブラジル人の方が改式祭の模様が昨日見せてもらいましたが、沢山な御親戚の方達もご親族の方達も皆んな集まって、おれおれの賑やかな改式祭を小さな赤ちゃんそれにも一人一人に改式に母の( ? )で、まぁ洗礼のような神儀でしょうね。
それでもう感動一杯でそのお祭りを頂いておる模様を見せて頂きましたが、そういう素晴らしいお働きまたなら合楽で現れておるおかげ、というものが誰にもおかげが受けられると言う事でございます。それが合楽にご縁のある方達が、いわゆる坂根先生を結実の点で違いますけれども、長い間合楽で修行さして頂いて、それで合楽で結婚のおかげを頂いてあちらへ帰らせて頂き、本当にまぁご縁によるお取次ぎの働きというものを、まぁ如実に現しておる訳でございますが。
壱岐の教会の場合でもそうです。本当に御理念に元づくいわゆるお取次ぎの御用と言うのはいわゆる、まぁだ二十歳そこそこの若い先生方が、一生懸命御理念にもとづく御用さして頂いておれば、いよいよお教会の上にも御比礼を頂いておる。これはなら坂根先生の心がけではない、白い鯉がまたは大黒様の働きが、めいめいの心の中にも家庭の中にも一様に頂けれるはずである。そこでそのおかげの現れ方というものが、どういう所からそういう比礼につながり、おかげの向上が始まるかというと。
いまここに合楽との血縁というか合楽との御神縁というか、その篇の紐がね結ばれておると言う事だと思うんです。だから様々な形で結ばれておるけれども、何かちょっとこうあったらそってこう解けてしまうというのではなくて、引っ張られれば引っ張られる程硬くこう、いうなら合楽との縁が強くなって行くという。まぁ合楽に対する童念心とでも申しましょうか。ま童念心の現れと言う訳でしょうけれど、例えばあのう末永先生の家内、いわゆるみちこさんですが、あちらの方へいわゆる嫁入りしましてから。
もうこの人はお細かい所に気の付く女でですが、もう味噌一つ作りましても、あのう親先生に言うて託けてある。あちらは御承知の様に、あのう魚が大変豊富な所ですから。魚や新しい魚がお供えがあったといやぁそれを。着る者があれば先生がそれが先生は好きだからというて( ? )のがくぶな、もうそれがばちかんではあるけれども。その一つでも親先生に召し上がって頂きたいと言う、それがね本当にあのう感じるんです。だから一つも合楽に対しする童念の心だと思うんです。
その心が言わば向上のおかげの向上というか、そのルートを辿ってお互いが合楽で現れておる量のおかげが、壱岐の教会の上にも現れておると言う事になります。だからどうでも一つ、先ずはただ合楽通いも、ただおかげを頂くからだけではなくて、何かそこにあのう切実心とでも申しますかね。おかげを受けてこの後も切ないと言うだけではなくて、合楽で説かれておるところのご理念の真髄に触れて、教祖金光大神様がこの有り難い道を、世界万国にも広げる世界をこの教えによって。
包み回すごと仰せられた程しのその御教えの真髄に触れる事である。おかげを受けると言う事ではない。教祖金光大神の信心の真髄に、触れてゆく楽しみであり喜びであり、と言う事は幹三郎が申しておりました様に、それこそ日々を信心の喜びと驚きを感じながら信心が育って行く。きのう、昨日でしたでしょうか日田の綾部さんのお宅の、おばあちゃんの50年の式年祭が合楽教会でございました。まぁ立派なお祭だったそうで、若先生の方でしましたが。
御親戚の方が私の部屋に済んでから、ご挨拶に見えた事でございましたが。私はその時間に御霊様の事をお願いをさせて頂いておりましたら。あれが金の鈴というのではあろうか、こう丁度お芝居の三番叟、三番叟がこうもうつある。鈴がこう入りますて打ち振うするです、それがあのう平手に三宝に載せてこう、備えてあるところを頂いたんですけれども。いわゆる( ? )の事を金の鈴を打ち振る様なともうしますね。
私共が段々だんだん信心を有り難うさせて頂いて、いよいよ心の清まりをもう願わしてもらい改まりに改まって、言うならば純粋無垢の金の鈴の音色に似た様な、音色が自分の心から発してくるような、だから昨日の綾部さんのところのお祭りに、御霊様のお祭りがおばあちゃまだけの喜びではなくて、綾部家御一同のお喜びじゃなくて、沢山の鈴が功鳴って沢山の方達が、それこそ金の鈴を打ち振るう様な喜びで、あのお祭りを受けられたのではなかろうか。
皆んなの娘たちを見て帰りましたけど。これはお祭の時だけではないもう日々がね、神様への信心と言うのは御先祖様へ奉仕というのは、日々が真心いっぱいで奉仕させて頂く一日を終わったら今日もおかげを頂いた、本当に有り難い事であった。あの事もおかげであったとこの事もおかげあったと、例えばあんた方夫婦がまぁ寝物語にでも有り難い事であった有り難い事であったと言うならば。
あぁお話合いが出来る様な日々を送って頂いて、心の中に金の鈴を打ち振るう様な心の状態になって行く事が、稽古を霊祭とこう祀るとかという時ではないです。いつもそういう心でねおかげ頂かなければいけないよと言うて、綾部さんにお話ししたところですが。お互いにそうです、一日を本当に有り難い有り難い、それも有り難いというものが、心霊につながる本当の有り難さ、本当の神様を頂く頂き続けさせて頂いて。
頂くところのいうならば和賀心である。金の鈴を打ち振るうような心の状態に現れて来るところでその様なおかげ。いわゆる本当にそのうおかげ。今日今朝からこうしてお湿りのような状態。はぁ今日はおかげで、もうそれこそ心霊人とした拝まれるならと思うたら、涙がこぼれた。あ今朝は大体と言うのに雨が降ってと言う風に思うには、喜びを分けました。おかげで信心が出来ましたと言う。
おかげでしんみりと、言うなら秋雨がしとしとと降る中にお祭が奉仕される。なんとまたしんみりとしたお祭が頂けるがと、お礼を言う心に喜びが、その喜びにおかげは伴うのです。もうひとつおかげを頂いて、今これから光昭が一か月間南米での合楽の御比礼の模様を実感して来とります。それをお話しする事だと思いますが、お互いに心の中に家庭の中に、言うならば合楽と何時も絶えず交流しておる、心の状態をいよいよ清めいよいよ広めて、大きなおかげにして行きたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。